在るもの — 名もなきスピリチュアリティの風景
It's Already Here — Unnamed Spirituality in Everyday Japan
はじめに読まなくていい前置き
この記事には、教義がない。修行法もない。「目覚めよ」とも言わない。
ただ、日本の日常にすでに在るものを並べた。
あなたがスピリチュアルかどうかは関係ない。これを見て何かを感じるなら、それがあなたの答えだ。
朝、水を換える
仏壇のコップの水を、毎朝換える人がいる。
誰に教わったわけでもない。おばあちゃんがやっていたから、やっている。意味は知らない。でも、やらないと気持ちが悪い。
それは「信仰」という名前がつく前の、もっと古い何かだ。
「いただきます」
日本人は食事の前に手を合わせて「いただきます」と言う。
直訳すると "I humbly receive." 誰から? 料理を作った人。食材を育てた人。命をくれた動植物。太陽と雨と土。
一言に、これだけの関係性が入っている。しかも本人はそこまで考えていない。考えなくても手が合わさる。
世界中のマインドフルネス・アプリが必死に教えようとしていること——「食べる瞬間に意識を向けなさい」——を、日本人は5文字で、毎日、無自覚にやっている。
お地蔵さんの前で立ち止まる
通学路の角にお地蔵さんがいる。赤い前掛けをしている。誰かが花を供えている。
子どもは毎朝その前を通る。手を合わせる子もいる。合わせない子もいる。どちらも正しい。
お地蔵さんは何も求めない。ただそこにいる。1,000年くらい前から。
この「ただそこにいる」が、実はとんでもなく高度なことだ。布教しない。勧誘しない。でも道端に立ち続けている。来る者を拒まず、去る者を追わず。
風鈴の音を聞く
夏。窓辺に風鈴を吊るす。
風が吹くと、チリン、と鳴る。その音を聞いて「涼しい」と感じる。気温は変わっていない。でも涼しい。
音が身体の感覚を変えている。これを科学は「クロスモーダル知覚」と呼ぶ。聴覚が触覚に影響を与える現象。
日本人はそれを理論ではなく風鈴で知っていた。
靴を揃える
玄関で靴を揃えること。
これは礼儀作法として教わる。でも、なぜ揃えると気持ちがいいのか。なぜ散らかった玄関を見ると落ち着かないのか。
禅の修行僧は、靴を揃えることから一日を始める。外の世界と内の世界の境界を、丁寧に扱うこと。それが「結界」の日常版だ。
あなたが毎日やっていること——靴を揃える、布団を畳む、食器を洗う——は、全部、小さな結界を引き直す行為かもしれない。
桜を見に行く
春、桜が咲く。
日本人は花見をする。木の下にシートを敷いて、酒を飲んで、笑って、散る花びらを見上げる。
ここには二つのことが同時に起きている。「美しい」と「はかない」が、矛盾なく共存している。
西洋美学では、美は永遠を目指す。大理石の彫刻。不朽の名作。日本の美は逆だ。散るから美しい。壊れるから愛おしい。終わるから今が輝く。
花見は宴会じゃない。無常の祝祭だ。
神社の参道を歩く
鳥居をくぐると、空気が変わる。
木漏れ日。砂利を踏む音。水の音。参道を歩いているうちに、さっきまでスマホを見ていた自分が少しだけ遠くなる。
何かを信じなくていい。ただ歩くだけで、身体が切り替わる。
参道の設計は、実は精巧だ。直線ではなく、少し曲がっている。木が覆いかぶさっている。五感への入力が段階的に変わるようにできている。
1,200年前の人が設計した「マインドフルネス・ウォーキング」のコースが、今も全国に8万本ある。
「もったいない」
壊れたものを捨てずに直す。金継ぎ——割れた器を金で継いで、傷跡を美しさに変える。
「もったいない」は2004年にノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイが世界に紹介した。でも日本人にとっては、おばあちゃんが言っていた一言でしかない。
ものに命があると感じること。使い終わった針を供養する「針供養」。人形を神社に納める「人形供養」。
アニミズムという難しい言葉を使わなくても、日本人は道具に「ありがとう」と言える。
夕焼けを見て立ち止まる
特に何があるわけでもない。ただ、空がきれいだった。
立ち止まって、数秒見上げた。写真は撮らなかった。誰にも言わなかった。
でも、その数秒で何かが起きた。言葉にならない何か。
それがスピリチュアリティだ。名前はいらない。教義もいらない。ただ、在る。
このシリーズについて
「在るもの」は、MEGURIの中で最も静かなシリーズだ。
難しい理論は出てこない。市場規模のデータも出てこない。CIA文書も出てこない。
ただ、日本の日常にすでに在るスピリチュアリティを、一つずつ、拾い上げる。
あなたが「あ、それ知ってる」「それ、やってる」と思ったなら——あなたはもうSBNRだ。最初から、ずっと。
MEGURI — The Oldest Future of Spirituality